安土桃山時代 美濃国・竹ヶ鼻村に居を定めた坂倉家は、元文三年(1738)七代目当主・又吉に至って酒造りを始めました。
伊吹おろしの冷気が満ち、清流・長良川の地下水が豊富に湧き出て、また濃尾平野穀倉地帯の中央に位置するこの地こそ、酒造りに最適であることに着目したのです。当時の酒名は「薄紅葉」。その淡麗でまろやかな味わいは、美濃の秋を彷彿させたことでしょう。
十九世紀の中ごろ、鎖国のわが国に開国を求める黒船が次々に来航。この過渡期にあたる文化年間に、今の代表銘柄「千代菊」が九代坂倉又吉により生まれました。異国船襲来という国難に当って、日本のいやさかを念じてのことと伝えられています。